ミレニアム最後の年、2000年に株式会社有斐閣に入社して以来、書籍編集の仕事を15年間続けてきました。
有斐閣は1877年創業の老舗学術出版社。入社当時は社員は100人を超え、学術出版社としては大きな会社です。編集部に配属されたものの社会人生活も初めてで、右も左もわからないまま、ベテラン編集者に教えられながら、仕事を横から見ながら、編集者として悪戦苦闘してきました。
有斐閣、というと法律のイメージが強いと思いますが、私は心理学、コミュニケーション学、ときどき社会学やその他、といったラインナップで、本づくりに携わってきました。
心理学では、34年ぶりの改訂となった『新・心理学の基礎知識』、そして『心理学辞典』とのハイブリッド商品『マルチラテラル心理学』、欧米の大学テキストに負けない情報量を目指したNew Liberal Arts Selectionシリーズの『心理学』、『認知心理学』、『臨床心理学』 (4月刊行予定)、『認知心理学ハンドブック』と大型商品をいくつか手がけました。
そして、大学でのスタンダードテキストであるアルマシリーズでは、『心理学・入門』、『心理統計学の基礎』、『認知心理学〔新版〕』等々、多くの本づくりに携わってきました。
心理学以外の書籍としては、『コミュニケーション論をつかむ』、『広報・PR論』、『排除と差別の社会学』、『犯罪・非行の社会学』など、大学向けテキストの刊行のお手伝いをいたしました。
この数年は電子書籍の展開に関心をもち、『心理学・入門』や『大学生の学び・入門』(いずれも、4月1日からAmazonで配信開始です!)など、そしてアプリとして『認知心理学ハンドブック』の編集に関わりました(自分がつくったわけではないですが)。
これまでご一緒にお仕事させていただいたご執筆の先生方、そして印刷会社、製本会社、取次、書店等の方々、そしてなにより同じ会社で働いた同僚たちには多大なる感謝を申し上げたいと思います。
また、本づくりをしていながら、読者の方々と接する機会はあまりないのですが、自分の手がけた本が、見知らぬどなたかの学びの一助となったのであれば、とても嬉しく思います。
なぜやめたのか、ということを、正確に言葉にするのは難しいことで、「○○が理由で会社を辞めたのです」と言葉にすると、さもそれが唯一の原因のように感じられてしまいます。しかしながら、決断に至った要因は非常に込み入っており、数十の要因が絡んでいます。「いまとは別の形で出版を続けていきたいと思ったから」というトートロジー的な言葉がしっくりきます。
有斐閣でその別の形を追究すればよかったのではないか、ということは、自分としてもずいぶん迷いましたし、当時の同僚からもしばしば問われました。「逃げているだけではないか」と、自問しました。しかしながら、出版社のカラー、スタイルというものは存在します。そしてそれは必然的なものであり、健全なことです。そのカラーと自分の求めている方向やスタイルと折り合い(や交渉)がつけばよいのですが、その程度や解消の可能性を考えた末、別の道を歩んだほうがよいな、と判断しました。
退職するにあたり、ある程度の仕事のめどをつけて周りの方にご迷惑をかけないように、とは思いましたが、結果的に途中段階の仕事を後任の方に引き継ぐことになりました。執筆していただいていた先生、そして後任の方には申し訳なく思いますが、仕事の性質上すべてきれいにしてからやめる、ということは難しく、ご容赦いただければありがたく思います。
で、やめてどうするのか、ということなのですが、さしあたって無所属の編集者です。幼稚園以来、組織に所属していない宙ぶらりんの状態ははじめてのことで、とても不思議な感覚でいます。由緒ある有斐閣に属していたからできたこと、しなくて済んだことは多々あると思います。そこから離れて何ができるかが、これからの自分に問われてくると思っています。
有斐閣では一貫して、学問を探究すること、学ぶこと、わかることについての編集・出版に携わりました。これからも、そうした営みにずっと関わっていきたいと思っています。そのことの面白さに気づかせてくれた有斐閣には大変感謝をしています。自分なりにそれを生かして、次のステップを進めていきたいと考えています。
非常に現実的な問題として、とりあえず、子どもを含めて無保険状態は怖いので、今日はこれから健康保険を取得しにいく予定でいます。年金とか税金とか、よくわかっていません。組織にずっと在籍していると、生きていくのに基本的な素養がごそっと抜けていることに気づかされました。
こうしたことも、私にとっては「学び」の1つであり、新しい視点や考え方で世の中を見ることにつながると思っています。何かを学ぶことは面白い。多様な「学び」の面白さをパブリッシュすることに、これからも邁進していきたいと思います。