編集部の引っ越し

来週から,編集部の場所が変わることになり,今週は引っ越し準備で編集部全体がおおわらわ。特に今日は総出で梱包や整理に追われました(所要があり,私は途中で抜けてしまったのですが)。

隣のビルに移るのですが,本社内の移動なので,編集部の住所等は変わりません。住所や電話番号が変わる部署もあるので,それに比べればたいしたことないのかもしれません。

他の業態を知らないのでよくわかりませんが,編集部なので紙の廃棄が大量です。古い資料や校正刷(ゲラ),そして資料用の図書や購読雑誌など。新聞の縮刷版もずいぶん前から残っている。縮刷版はいまは電子で提供されているので,そちらのほうがスペースも考えて現実的かもしれない。ただ高そうですが。もちろん,今後も使用するものはすべて持っていきます。それでもこれを機会に不要なものは廃棄しました。引っ越しでもしない限り,ものはなかなか減りません。スペースがあればあるだけ,ものは増える。でも5年も見ていない資料を,明日に見る可能性はだいぶ低い(なくはないのですが)。

退職した編集者から受け継いだ,あるいは「置いていった」資料もありました。歴史的発掘がいたるところで行われていましたが,やはり現存する人のものでなければ,「残そう!」ということはあまりないので,ほぼ処分しました。古い資料の中には,新しい所有者へと引き継がれたものもあります。私も1冊だけですが,古い本で長谷川鉱平『本と校正』中公新書,という本が処分されかけていたので,拾い出しました。岩波書店や中央公論社で,たぶん校閲をされていた方のようです。

古い本は味があっていいものです。電算写植が始まる前は,植字工さんが1文字1文字,拾ってつくっていました。ページを触ると文字がへこんでいるのがわかります。私は2000年入社なので(20世紀最後の年!),電算写植しか知らないですし,パソコンが1人に1台支給されていました。

インターネットで情報が入手できるようになり,日常的な連絡方法はメールとなり,組版ではDTPが多く用いられています。技術の進歩はすごいものがありまし,それらを活用する能力が編集能力の一部であることは間違いありません。新しい技術に慣れ,想定する読者の日常環境に適した提供方法を模索することも必要なことです。

しかしながら,情報環境の進展によって,本のクオリティ,そして本を読むという行為が格段に「進歩」したのかどうか,といわれると,そうでもない,むしろ簡単に本がつくられることで,じっくりと本づくりをすることが難しくなり,しっかりと本を読むことも少なくなっているのかもしれません。社会歴史的な必定でしょうが,本という媒体のよさとは何か,それを十二分にいかすにはどうしたらよいのか,ということにこだわることも大事なことのように思いました。

本は形として残ります。しかし,数十年後も読み継がれる本は,本当に少ない。しかし,ただ一瞬「消費」されるわけではなく,いま読まれる本があるからこそ,次の時代の本が生まれるのだと思います。いま読まれる本を,しっかりとつくっていく。そうしたサイクルのただなかで,私も現在,そして未来に意味のある仕事ができればよいなと思います。

ということで(脈絡がないですが),来週からは新しい職場で心機一転!

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