電車での出来事

夕刻、急行に乗って帰るときのこと。

電車は帰宅する人たちで混雑気味だった。途中の駅で、電車が発車すると「すいません、こらっ」と女性の声がした。近くから、子どもの大きい独り言が聞こえる。10歳くらいの子どもを連れた母親だった。子どもが、他の乗客に何かをしたようだった。

専門家ではないので、具体的にはわからないが、子どもはどうやら、発達的な障害を抱えているようだった。その声は明確な言葉になっておらず、何かしらの意図を感じるものの、意味するところを汲み取ることは難しかった。

混雑した電車は、子どもにも、そして母親にも快適とはいえないようだった。子どもがいうことを聞かず、そしてどうやらしゃがんだか、すわってしまったようだった。「立ってよ、ほんと、もうやめてー」「お願い」と母親が悲痛な声をあげる。しかし子どもは、言われた通りにはできない。無理やり立たせられようとして、抵抗し、そして泣き始めた。まわりの視線を感じて、母親は余裕をさらになくしていき、そのつらさが電車の中に広まっていく。

誰かが、その子どもにあからさまに迷惑そうにしたり、怒ったりしたわけではなかったように思う。それでもやはり、母親には耐えられなかったのだろう。

私が下りる予定の駅に着いたとき、ふたりも無事に降りることができたようだった。だが、階段を下りる途中で、また子どもが立ち止まり、そして母親はまた悲痛な声をあげていた。

くわしいことはわからない。ただ、様子から察するに、こうした出来事はおそらくあの家族にとってはよくあることなのだろうと思う。悲痛な声をあげざるをえない日常がどのようなものか、と思いをはせた。

私に何かできることはあったのだろうか。「(声を挙げてても)大丈夫ですよ」と母親に言うことや、「疲れちゃったの?」と子どもに話しかけることが、いくばくかの助けになったのだろうか。そのことが、彼らをさらに苦しめることにもなるのだろうか。声をかける以外に、何かできることがあったのだろうか。

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